キッチン・ブルー(遠藤彩見著)
「食」をトリガーにさまざまな人の生活に寄り添う物語*
「食」がテーマになった1冊。
「食」がテーマになっている小説が大好きな私としては、すぐに購入!笑
この小説の面白いなあと思うところは、「食を憂鬱に描いているところ」。
複数の短編で1冊が構成されているのだけれど、ほとんどの物語が憂鬱に満ちている。
憂鬱な毎日の中でも「食(料理)」に助けられるというストーリー展開の物語ってよく見かける気がするのだけれど、
この小説は食そのものが憂鬱に感じている登場人物が多かったことが印象的。
食が憂鬱だと、こんなにも毎日がつまらなさそうに映るんだなって自分の感想もまた、1つの発見であり、印象に残ったことです。
「おいしいって思えなくなったら、私たぶん、疲れてる」
この帯コピーが逸脱。
このコピー1つで購入意欲が倍増したこと間違いないです☆
言葉の力を強く感じました*
▼▼▼ 以降 ネタばれ 注意 ▼▼▼
「生」に直結する食事
「食」は「生」に直結しているからこそ
物語や映画でも大切に描写されて、テーマになりやすいと思うのだけれど、
本当に直結しているな、と改めて感じさせられた数々の物語でした。
食事をするときって丸裸になっているようでどうも苦手だってとある登場人物が言うのだけれど、まさしくその通りだなと。
食事の好みや味付けだけでなく、
食べる順番も、カトラリーの使い方も、姿勢も、表情も、口の開け方も、咀嚼の仕方も、、、
普段はなにも意識していないのだけれど、
食事における一挙手一投足、食事の場面での選択の数々に、その人の生活や性格が滲み出ている。
(そう考えはじめるとめちゃくちゃ窮屈になるんだけれど…笑)
だから、丸裸にされているみたいって表現がしっくりきた。
生活感が一番でちゃうし、隠せないのが食事。
直結しているなって本当に感じるし、だからこそこの食事を誰と食べられるかって重要なことだなって思います。(人生の幸福感に直結するくらいに。)
満たされた食事って?
だからこそ、この食事が楽しいか楽しくないか、美味しく感じるか感じないか、憂鬱なのかそうでないのか、苦痛なのか至福なのか、
それがものすごく肉体的にも精神的にも直結している。
食事って本当に大事。
満たされた食事は、幸せな毎日につながっている。
満たされるってただ美味しいもの、高級なものってことじゃない。
私は1日1食限定で超高級食材をふんだんに使用した、三ツ星レストランのコース料理よりも、
スーパーの特売で買った野菜を使って、ちょっと焦げたりしてて、見た目も特別きれいじゃなくて、だけど心を込めて作ってもらったほかほかのごはんのほうがよっぽど美味しく感じるし、何より幸せだと思う。
それを作ってくれる人がいることも、食べられることも、それを作れることも、食べてくれる相手がいることも。
それは一人で食べる食事でも一緒で。
すごいしんどい思いして、踏ん張って、思いっきり仕事をやりきった後の牛丼でもいいし、
仕事頑張って徹夜して明け方に一人で食べる、寒い日の肉まんも嫌いじゃない。
仲間と酔ってはしゃいで二日酔いで気持ち悪い時のお味噌汁もいいかもしれない。
自分のために5時間こつこつと煮込んだビーフシチューも、とても贅沢だな、と思う。
美味しい食事は味や食材じゃなくて、
誰とどう食べるかによって完成されるものだと思う。
人生も食卓だ。起こることは食べ物。心を躍らせる美味も、顔を歪める苦みも、ともに囲むひとたちと分かち合うのだ。
この一説が本当によくわかる。
正直、いつでも幸せハッピー!!な毎日なわけがないし(そんな人いたら逆に怖い)、
悔しかったり悲しかったりマイナスの感情で囲む食卓もあると思う。
だけど悲しい時に食べたあったかいご飯に少しほっこりしたりとか、
涙の味がするお味噌汁とか、なんかいいと思うんだよなあ。
そういうときのお料理って忘れないし、心に残っている。
しかも大切な思い出として、残っている。
悔しい時に食べたお料理がいつの間にか大事な時に食べる勝負飯になってたりもする。
どんな時も、一緒に食卓を囲める人がいること。
どんな時も、食事を元気に食べられる自分がいること。
それ自体が幸せだと、私は感じます*
【キッチン・ブルー(遠藤彩見著)】
— ひよっこ (@furari3710) 2018年8月11日
食がテーマの小説が多くある中で、憂鬱に描かれている食の描写は珍しい!食べることって生きることに直結しているからか、多くの物語が書かれていて、個人的に好きなテーマなので、とても面白かったです* pic.twitter.com/CERrZx7dko